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市民祭「警固」とは?

ページID:0001925 更新日:2023年3月1日更新 印刷ページ表示

尾張旭市制5周年間隔で、5年に一度開催される警固は、市内各地区の神社に奉納する献馬や棒の手が城山公園に一堂に会し、標具(だし)で飾った馬や棒の手の各流派の演技、火縄銃の発砲が勇壮に繰り広げられ、多くの市民が市の伝統文化に直接触れることができる市最大の文化行事です。
また、先人たちが大切に守り続けてきた伝統文化を、普段目にすることのない方にも広く知っていただける貴重な機会でもありますが、令和3年度(令和2年度実施予定を繰越)は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため残念ながら再度中止となってしまいました。
次回の「警固」は市制55周年(令和7年度)に実施予定です。それまでの間、尾張旭の伝統文化である「警固」について知っていただける機会を増やすため、このページでは過去の様子や「警固」の成り立ちなどを紹介しています。

【警固隊の行進】(新居地区)

けいごみだしの画像

例年の市民祭「警固」の見どころについて

けいごかいじょの画像

⑴警固隊の行進・鉄砲隊による発砲

旭中学校から出発した総勢約1,000人の警固隊が、それぞれの地区の馬の塔とともに、市民祭会場を目指して城山街道を行進します。途中では、鉄砲隊による発砲が披露され、旭城を背景に火縄銃の音がコスモス畑に響き渡ります。

⑵馬の塔駆け込み・棒の手の演技

城山野球場に到着すると、警固用の特別な標具で飾られた馬の塔とともに駆け込みが行われ、警固隊の到着に華を添えます。その後、城山野球場では棒の手隊による演技が披露され、5流派の代表者や子どもたちが市民祭を勇壮に盛り上げます。

⑶鉄砲隊による発砲

鉄砲隊は長池に移動し、再度発砲を行います。長池を囲んだ鉄砲隊が順番に発砲する度に、迫力ある発砲音が鳴り響き、観客から拍手や歓声が上がります。

過去の警固の様子(市制40周年記念)

警固隊行進

馬の塔(標具)

馬の塔(駆け込み)

鉄砲隊発砲(城前)

鉄砲隊(長池)

棒の手

市民祭「警固」の成り立ち

警固は「鉄砲と棒の手と馬の塔」で隊列を組む奉納行事です。

馬の塔は、棒の手と同じく県の代表的な民俗行事のひとつです。
江戸時代から行われてきた献馬行事で、豊作のお礼や雨乞いのために「標具」と呼ばれる道具で飾られた馬を一日だけ寺社に奉納します。
もともとは、村内だけの「郷祭」に献馬が行われていたようですが、江戸時代中期になると、複数の村が連合してより大きな神社やお寺に馬の塔を奉納する「合宿」が始まりました。
郷祭は、村の氏神様へ馬の塔を奉納するもので、基本的に、毎年行われます。
合宿は、大豊作の年にだけ行われる10年に一度くらいの特別な祭りで、尾張旭市域の旧村々は、名古屋市守山区の竜泉寺へ奉納する「竜泉寺合宿」か、豊田市の猿投神社へ奉納する「猿投合宿」に参加していました。郷祭で使う「標具」は、村の名前が書かれた「高札」と白い御幣が一般的ですが、合宿では、その村独自の特別な「標具」を使います。
戦時中には一時中断し、青年会による継続も難しくなりましたが、戦後になると、三年に一度程度は行われて受け継がれてきました。昭和30年代に保存会が結成されると毎年実施されるようになりました。現在は毎年の市民祭で、新居地区の警固隊が登場します。
合宿は昭和初期に行われなくなりましたが、尾張旭市では、昭和45年の市制施行を機に全地区の警固隊が集まり警固祭が行われ、それ以降は5年ごとの市制周年記念に合宿格の警固として行われるようになり、現在へと続いています。

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