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みなみはらやまのおいわけ
南原山の追分
所在地 |
南原山町赤土158-4付近 |
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年代 | 弘化四(1847)年 |
南原山集会所の南側に六つに道が分かれるところがあり、地元の人たちに、「追分(おいわけ)」と呼ばれていました。このうち、東西にのびる四本の道は、古くから名古屋方面と瀬戸・猿投方面をつないできた道です。この場所に向かい合って建つ二体の観音像は、ともに弘化四(1847)年に建てられたもので、道標の役割もかねていました。西側にあって東を向いている石仏は馬頭観音像であり、「右大曽根道左でき町□や道」と刻まれています。一方、東側にあって西を向いている石仏は十一面観音像で、「右さなげ道左せとしなの道」と刻まれています。
(上の画像、その他の画像1枚目)馬頭観音像
(その他の画像2枚目、3枚目)十一面観音像
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