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本地ヶ原神社
現在の本地ヶ原神社は、昭和四十五(1970)年の創建のものですが、その前身となる白山神社は、神亀年間(724~729年)の創建とも伝えられています。また、寛文五(1665)年に、尾張藩主によって荒廃していた神社が再興されたという記録も伝わっています。
白山神社は、明治四十四(1911)年に、「神社合祀令」に基づいて一之御前神社に合祀され、跡地は陸軍演習場に接収されました。その後、戦争が終わると本地ヶ原の開拓がはじまり白山神社も建物自体はないものの小さな祠で祭礼がはじまりました。そして、昭和四十五(1970)年に、一之御前神社に合祀されていた白山神社を復祀して本地ヶ原神社としました。
境内には、「元白山神社」と刻まれた石碑があります。これは、平成元(1989)年に南新町白山で行われた発掘調査によって地中から見つかったもので、白山神社が一之御前神社に合祀された後で作られたものだと思われます。
天狗のかかと岩
また、境内には、「天狗のかかと岩」と呼ばれる岩も残っています。これは、白山の頂上付近にあった岩で、中央のくぼみは天狗が白山から猿投山に飛び立ったときについたかかとの跡だと言われています。
所在地
尾張旭市南新町中畑237
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【注】このページは、尾張旭市内の史跡を紹介するページです。行事の日程等は、教育委員会では把握しておりませんので、直接神社にお問い合わせください。