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歴史の散歩道ー史跡散策コースの紹介ー
尾張旭市内には、寺社や、路端に今も数々の史跡が残っています。
このページでは、そんな市内の史跡をめぐることができる3つのコースを紹介します。
市内の歴史を感じながら、史跡をめぐってみてはいかがでしょうか。
殿様街道界わいを訪ねて~一里山から森林公園へ(約7.0km)~
尾張旭のほぼ中心を、東西に走る瀬戸街道。名古屋から、小幡、印場を通りすすむと、砂川(すがわ)という交差点にさしかかります。道は、そこから約50mほど東、通称つんぼ石で殿様街道とに分かれていました。現在は土地区画整理事業によりつんぼ石はやや北の位置に移動し、殿様街道の道筋は姿を消しました。殿様街道は、尾張藩の歴代藩主が、瀬戸市の定光寺にある初代藩主徳川義直(とくがわよしなお)廟(びょう)に参拝するときに利用した道で、御成筋(おなりすじ)や定光寺道(じょうこうじみち)などとも呼ばれていました。一般の人々にとっては、中山道方面への抜け道であったり、水野代官所(瀬戸市)へ往復する生活道路でもありました。
このルートでは、新居地区を中心に、殿様街道やその周辺の史跡をめぐります。
民間信仰を中心として~直会神社から渋川神社へ(約3.0km)~
氏神さまやお寺を中心とした信仰は、近世以来の一般的な形ですが、庶民の間には、それ以外にも多くの信仰が古くから伝えられていました。尾張旭市内には、そういった信仰があったと分かる石造物などが、今も残っています。
このルートでは、印場地区の遺跡や、近世以来の民間信仰が分かる寺社や小堂をめぐります。
遺跡と中馬道を歩く~印場大塚古墳から白山神社へ(約6.5km)~
少林寺の東側から南原山町の追分を通って瀬戸方面に向かう道は、名古屋と信州をを結ぶ脇道で、名古屋道(なごやみち)や信州飯田街道などと呼ばれていました。また、瀬戸街道と同じく信州方面からの馬稼ぎ(馬を使った輸送業者)が利用したことから信州中馬道(しんしゅうちゅうまみち)とも呼ばれていました。そのためか、馬頭観音像も多く造られています。また、尾張旭市内の矢田川南岸には、長坂遺跡や印場大塚古墳といった古代の遺跡が残っています。
このルートでは、稲葉・三郷地区を通る名古屋道を中心に、古代の遺跡・中世の城跡・江戸時代の石仏など、市内の長い歴史を感じることができる史跡をめぐります。