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旧瀬戸街道筋
県道61号線は、現在、「瀬戸街道」という通称で親しまれています。この道がいつごろできた道か定かではありませんが、古くから名古屋から瀬戸をつなぎ、その先の三州街道、信州街道へと続いていました。江戸時代には、信州と名古屋の間で馬を使って荷物を運んだ「中馬」に盛んに利用され、明治以後は、瀬戸からの陶器輸送の馬車が通りました。そういった歴史の中で、瀬戸街道は、何度も改良拡幅されてきましたが、市内には、ところどころに昔の瀬戸街道の道筋が残っています。
大森東口の交差点~渋川神社
県道61号線の「大森東口」の信号から南東にのびている脇道は、今も残る瀬戸街道の旧道です。この道は、昭和のころまでは、渋川神社からさらに東へのび、「印場東」の信号まで続いていました。
旧瀬戸街道筋にあった馬頭観音(現:良福寺)
そのなくなった道の傍には、「馬頭観音」が建っていました。馬頭観音とは、馬の顔を頂いた観世音菩薩のことを言い、瀬戸街道沿いには、馬を使った輸送業を行う人たちによって、道中の安全などを祈り、馬頭観音が多く建立されました。この馬頭観音も、そういったものの一つではないかと考えられています。
現在、この馬頭観音は、良福寺の境内で見ることができます。
城前の交差点~市役所南の交差点の西
県道61号線「城前」の信号を過ぎ、南に折れた脇道も現在に残る旧瀬戸街道筋です。
この脇道では、旧瀬戸街道筋の集落を見ることができます。街道の両側には、道に沿って町並みが続き、屋敷の周りには生垣、築地塀などの囲い込みが造られています。