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「警固」とは

ページID:0001925 更新日:2026年1月22日更新 印刷ページ表示

尾張旭市制5周年間隔で、5年に一度開催される警固は、市内各地区の神社に奉納する献馬や棒の手が一堂に会し、標具(だし)で飾った馬や棒の手の各流派の演技、火縄銃の発砲が勇壮に繰り広げられ、多くの市民が伝統文化に直接触れることができる市最大の文化行事です。
また、先人たちが大切に守り続けてきた伝統文化を、普段目にすることのない方にも広く知っていただける貴重な機会でもあります。令和7年10月12日に、10年ぶりに市制55周年記念事業として市民祭で警固が実施されました。(令和3年度(令和2年度実施予定を繰越)は新型コロナのため中止。)尾張旭の伝統文化である「警固」について知っていただく機会を増やすため、このページでは過去の様子や「警固」の成り立ちなどを紹介しています。

新居地区馬の塔印場地区新居地区発砲馬の塔駆け込み出迎え式棒の手

過去の警固の様子(市制55周年記念)

市民祭警固記録映像

令和7年度市民祭警固記録映像<外部リンク>(外部サイト:YouTube)

「警固」の成り立ち

警固は「鉄砲と棒の手と馬の塔」で隊列を組む奉納行事です。

馬の塔は、棒の手と同じく県の代表的な民俗行事のひとつです。
江戸時代から行われてきた献馬行事で、豊作のお礼や雨乞いのために「標具」と呼ばれる道具で飾られた馬を一日だけ寺社に奉納します。
もともとは、村内だけの「郷祭」に献馬が行われていたようですが、江戸時代中期になると、複数の村が連合してより大きな神社やお寺に馬の塔を奉納する「合宿」が始まりました。
郷祭は、村の氏神様へ馬の塔を奉納するもので、基本的に、毎年行われます。
合宿は、大豊作の年にだけ行われる10年に一度くらいの特別な祭りで、尾張旭市域の旧村々は、名古屋市守山区の竜泉寺へ奉納する「竜泉寺合宿」か、豊田市の猿投神社へ奉納する「猿投合宿」に参加していました。郷祭で使う「標具」は、村の名前が書かれた「高札」と白い御幣が一般的ですが、合宿では、その村独自の特別な「標具」を使います。
戦時中には一時中断し、青年会による継続も難しくなりましたが、戦後になると、三年に一度程度は行われて受け継がれてきました。昭和30年代に保存会が結成されると毎年実施されるようになりました。
合宿は昭和初期に行われなくなりましたが、尾張旭市では、昭和45年の市制施行を機に全地区の警固隊が集まり警固祭が行われ、それ以降は5年ごとの市制周年記念に合宿格の警固として市制周年事業の中で実施され現在へと続いています。

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