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10月号特集「ふるさと大使×岡野兄弟」

ページID:0035266 更新日:2024年9月25日更新 印刷ページ表示

9月21日、本市出身の津軽三味線兄弟ユニット「岡野兄弟」をふるさと大使に委嘱しました。彼らは、国内外で活躍し、市内の小・中学校やイベントなどでも演奏を多数行っています。今回の特集は、岡野兄弟の市に対する熱い思いや、今後の目標などを紹介します。

問い合わせ先/広報戦略課 Tel76-8107

岡野兄弟

ふるさと大使とは

地域を超えて活躍しているかたを通して尾張旭市の魅力を発信し、にぎわいの創出やイメージアップを図るため、令和5年に設置。岡野兄弟は、TOMOさん(DA PUMP)に続き、2組目の大使となります。

岡野兄弟

経歴

平成16年 スイス公演
平成17年 愛知万博(愛・地球博)公演
平成18年 岡野兄弟コンサート 駒ヶ根市文化会館(900人)
平成22年 コンサート 伊那市文化会館(1500人)
平成23年 自主公演「弦鼓の響宴」尾張旭市文化会館(1000人)、津軽三味線プロとして活動スタート
平成24年 路上ライブ(愛知→滋賀→京都→兵庫→岡山→広島→山口→福岡)
平成25年 関西遠征 (かごの屋) 奈良、兵庫、大阪、京都 ライブ
平成26年 大衆文化・福祉応援賞 受賞
平成27年 ピアノと三味線のコラボユニット【陽影月-HIKAGETSU-】結成
平成29年 アメリカ公演(哲也氏)
平成30年 オランダ公演(哲也氏)
令和2年 TSUGARU-SHAMISEN CONTEST2020エンターテイメント賞受賞(将之氏)
令和4年 名古屋津軽三味線教室を開講(将之氏)

経歴経歴

兄 岡野将之

 

昭和62年10月10日生まれ
旭丘小学校、東中学校卒業

一言Q&A

Q.尾張旭市で思い出の場所は?
A.最初に大きな公演をした文化会館

Q.ご自身の性格を一言で
A. だいたい”真面目

Q.弟さんに一言
A.ずっとお兄ちゃんを大好きでいてね(笑)

岡野将之

弟 岡野哲也

平成元年10月30日生まれ
旭丘小学校、東中学校卒業

一言Q&A

Q.尾張旭市で思い出の場所は?
A.仲間たちと夢を語り合った維摩池

Q.ご自身の性格を一言で
A.思い立ったらすぐ行動!

Q.お兄さんに一言
A.これからも楽しくやろう!

岡野哲也

岡野兄弟の軌跡―津軽三味線で尾張旭市から全国へ―

 小学生の時に両親に連れられて行ったライブで、全身に響き渡る力強い音色に衝撃を受け、始めた津軽三味線。当時、兄・将之さん10歳、弟・哲也さん8歳。それから数々の大会で優秀な成績を残し、平成16年にはスイスで、17年には愛知万博で公演を行います。
 ​平成23年にはプロとして活動を開始。初の自主公演を市文化会館で行い、満員の観客を集めます。その翌年には、路上ライブで観客から得たお金だけで全国を回る旅を実施。そのスタート地は尾張旭駅。今でもこの旅が、原点と語ります。
 「津軽三味線を広めたい」という思いを胸に、現在は全国・世界各地に活動拠点を広げています。

津軽三味線

津軽三味線は、三味線の中で棹が一番太い「太棹」という種類で、大きな音が出るだけでなく、胴を叩きながら演奏するため、迫力に満ちた音色が特徴。歴史は約150年と比較的浅く、演奏のスタイルは演者によってさまざま

将之(兄)さんコメント

絹の糸と本革を使っているため、熱や湿気に弱く、演奏中に音が狂うことも。その場で弦を押さえる位置を変えて音を調整するため、感覚で弾けるように小さい頃から練習してきました。

三味線三味線

哲也(弟)さんコメント

胴を飾る装飾(胴掛け)も演者でさまざま。自分のスタイルに合わせて、色などを変えて楽しんでいます。

三味線三味線

インタビュー

―現在の活動についてお伺いします。お二人が力を入れていることを教えてください。


哲也(弟):津軽三味線のことをもっと若い世代に知ってほしいという思いから、AIを使って曲を作ったり、エレキ三味線を弾いたり、新しいことにチャレンジしています。子どもたちが見て「かっこいい」「津軽三味線をやってみたい」と思ってくれたらうれしいです。

将之(兄):津軽三味線の教室を始めて、中学生から75歳くらいまでの生徒さんに三味線を教えています。正しく教えられるよう技術も一から見直し、大会もまた出るようになりました。また、民謡※の楽しさを伝えるために民謡グループも始めて、いろんなところで演奏しています。
​※生活の中で誕生し、歌い継がれてきた曲

将之さん哲也さん

―岡野兄弟としてのほかに、個々の活動も多方面でされているんですね。

将之:活動はバラバラに見えますが、根本の「津軽三味線を広めたい」という思いはずっと変わっていません。兄弟で違うスタイルで活動しているからこそ、いろんな人にアプローチできていると思っています。

哲也:今、プロとして僕たちがいろんなことにチャレンジして、次世代の子たちのためにも、レールを敷きたいと思っています。

インタビュー経歴

―市制35周年の市勢要覧でインタビューさせていただいた時も、「三味線を広めたい」と語られていましたね。

将之:中学生と高校生の時ですね。あの頃はけんかばかりでしたが、お互いに「津軽三味線で食べていきたい」という強い思いが共通であったので、何とかここまで来られたんだと思います。

哲也:両親にはかなり心配をかけましたね(笑)。ここまで大変でしたが、「倒れるなら前に倒れる」という言葉を胸に、失敗しても少しでも前に進めるようにという思いで活動してきました。

35周年35周年

―これまでの活動で、印象に残っていることはありますか。

将之:平成23年に初めて文化会館で自主公演した時は準備もどうすれば良いか分からず、本当に周りのかたに助けてもらいました。満員の舞台に立ったときは、鳥肌が立ちましたね。あの公演がスタートラインだったと思っています。

経歴

哲也:ニューヨークで 20 日間、1 人で路上ライブをしたことですね。英語も話せなかったので、最初のフライトから足が震えていたのを覚えています。おかげで心臓に毛が生えました(笑)。これが三味線を世界に広めるための第一歩となり、最高の経験となっています。

NYストリート

―ふるさと尾張旭について伺います。お二人にとって尾張旭の魅力は何ですか。

哲也:小さい頃から森の中で走り回って、緑に囲まれて生活してきました。尾張旭に帰って来ると、ほっとします。そんな自然もありながら、栄などの中心部までアクセスが良いのも魅力です。

将之:僕も外に出てみて、改めて良い環境で育ったんだなと感じました。今でも自然をイメージした曲を作る時に思い浮かぶのは、尾張旭の風景ですね。あと、人がとても温かいです。帰ってきたらいろんな所で声をかけていただきます。「あぁ地元に帰ってきたな」とうれしく思いますね。

35周年35周年​​​

―これからふるさと大使として、どのような活動をしていきたいですか。

将之:まだ僕たちのことを知らないかたも多いと思うので、まずはたくさんイベントなどに出演して、知ってもらいたいです。自分たちがもっと活躍できれば、尾張旭市も一緒に盛り上げていくことができると思っています。ブームを作って、市外にも尾張旭市のことをもっと発信できるように頑張りたいです。

哲也:市内の小・中学校で演奏したり、授業で津軽三味線を教えたり、子どもたちと触れ合える機会をつくっていきたいです。自分たちの強みは、幅広い世代に楽しんでもらえるよう、アレンジしたパフォーマンスができることです。例えば、子どもたちやふるさと大使のTOMOさんとダンスでコラボしたり、民謡を高齢のかたたちと楽しんだり。どんなことでも良いので、声をかけてもらえたらと思います。

ふるさと大使

―最後に、市民の皆さんにメッセージをお願いします。

将之:地元の応援ほど、力になることはありません。その力を糧に全国に発信していきたいと思っています。引き続き応援よろしくお願いします。

哲也:今は東京を拠点に活動していますが、帰る場所は尾張旭しかないと思っています。帰る場所があるから、いろんなことにチャレンジできています。これから皆さんと一緒に尾張旭市を盛り上げていきたいと思います。

岡野兄弟

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