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広報おわりあさひにて連載している市長のコラム「足下に泉あり!」を、ホームページでも紹介します!
12月10日。この日はアルフレッド・ノーベルの命日で、ノーベル賞の授賞式が毎年執り行われる特別な日です。ノーベル生理学・医学賞に大阪大学特任教授の坂口志文氏が、化学賞に京都大学特別教授の北川進氏が、それぞれの共同研究者とともに選ばれたのはご存じの通りです。
それにしても、各賞が発表される10月の1週間は、妙に気分が高揚します。有望候補の方は吉報待ちの待機、関係大学や企業は空振り覚悟の会見準備、マスコミもクルーの派遣や業績を平易にまとめる労力だけでも大変そうです。でも、昭和24年の湯川秀樹博士の受賞が戦後日本復興の狼煙となったように、日本人のノーベル賞への知性信奉に揺らぎはありません。
今回の報道を見ていて、興味深い点がありました。
まずは、坂口さんの「制御性T細胞」の発見。テレビ報道ですが、ある小学校で「知っている人」と先生が聞くと、子どもたちが一斉に手を挙げます。びっくりです。実は、『はたらく細胞』という人気漫画があり、冷静沈着なスーツ姿女性に擬人化されたこの細胞の働きを、子どもたちは正確に理解しているのです。漫画、恐るべしです。
次に、北川さんですが、子どもたちへのメッセージを問われ、細菌学の父と呼ばれたルイ・パスツールの言葉を引用されました。「幸運は準備された心に宿る」。
幸運やチャンスは偶然訪れるものではなく、日頃からの努力や準備によって初めてつかむことができる、という意味です。1月の「尾張旭市二十歳の集い」の祝辞にも使わさせていただいたので、ご紹介しました。ちなみに、坂口さんの座右
の銘は「一つ一つ」。皆さんの心に少しでも刺さればうれしく思います。

昨年12月14日、緑ヶ丘第7ちびっ子広場において、市制55周年事業「白山林の戦い伝承地」記念碑の建立除幕式を行いました。
徳川家康と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が戦った有名な小牧・長久手の戦いの局地戦「白山林の戦い」は、勝敗を決定付ける、まさにターニングポイントでした。一般的には知る人ぞ知る、ですが極めて重要な戦いです。
天正12(1584)年4月9日早朝、織田信雄・家康軍の先遣隊は、秀吉軍の最後尾、秀吉の甥で総大将の三好信吉(後の豊臣秀次)の隊が白山林で朝食をとっていたところを急襲。不意を突かれた三好隊は総崩れとなったのです。現在では、白山の地名にわずかにその面影を忍ぶことができます。
碑の建立に至った経緯をお話しします。令和5年のNHK大河ドラマ『どうする家康』に際し、愛知・岐阜県内10市町で結成された「小牧・長久手の戦い同盟」と日本郵便東海支社がコラボして、ゆかりの地がオリジナルフレーム切手として発売されました。ただ、本市はビジュアルに困り、古絵図の一部と現在の遠景写真を使わざるを得ませんでした。今年の『豊臣兄弟! 』の主人公・秀長は、この時は信雄領の伊勢を攻めており、ドラマで描かれるかどうか分かりません。ただ、本市を舞台にした戦国時代の重要な合戦があった事実をもっと内外にアピールできれば、市民がふるさとに愛着と誇りを持つきっかけになると考え、尾張旭ライオンズクラブ様にご相談し、記念碑寄贈を快諾いただきました。会員の皆様には、これまでの多大なご厚意ともども、深く感謝申し上げます。
ちなみに、碑の題字は公募とし、旭中学校の生徒さんにお願いしました。時の流れは過去から未来へ。若く力強い達筆が、歴史の一つの分岐点を長く雄弁に語り続けてくれると信じています。
▼尾張旭ライオンズクラブ日比野和雄会長(右)と揮毫した泉原由奈さん(中)

昨年同様、今年のお正月を平穏に迎えることができました。
念頭に浮かぶのは、やはり一昨年の元日に発災した能登半島地震です。ご存じのように、本市は輪島市と災害協定を結んでいるご縁があり、独自の募金活動や支援物資の提供、市民祭での相互参加など、息長く交流を続けてきました。
そして、昨年10月からは半年間、嬉しいことに前年に続き、職員の中長期派遣が叶いました。今回は、女性職員が自ら手を挙げてくれました。彼女はもともと珠洲市の出身で、震災を契機に公共の仕事に就く決心をし、民間から本市に転職してくれた経歴で、まさに打ってつけの人材です。現地では深刻な住民流出が続いており、市職員の確保も極めて厳しい状況にあります。特に、女性住民からの相談では、女性の担当を要望される案件も多く、現地は大歓迎、当人も志高く元気に活躍中です。
昨年11月12日、彼女の激励を兼ね、震災後、3度目となる輪島の坂口市長を表敬訪問いたしました。想像もできない激務と拝察しますが、精力的に飛び回っておられるとのことで、まずは安心しました。
実は、私と坂口さんは、生年月日が同じなのです。誕生日が同じ人は過去に出会ったことがありますが、生まれ年まで一緒の方は初めてで、まずは、不思議なご縁の第1です。
今回の訪問に当たっては、何か新たな取組ができないか、やはり未来を託す子どもたちの交流の一択と考え、現状を調べてみました。輪島市は、分校を除き小学校が9校、中学校3校です。同市の統計上の人口は本市の4分の1、面積は20倍と様相は大きく違うのに、学校数が本市とぴったり同じなのです。何という偶然、不思議の第2!
早速、各校1対1の相対交流を提案し、ご賛同いただきました。まずは、本市の子どもたちが輪島の子どもたちに寄り添うことからスタートです。どのように育つのか、今後の展開が楽しみです。それにしても、不思議です。
▼本市の子どもたちのメッセージを坂口輪島市長に直接手渡しました。

市が直接関与する大きなお祭りは、私が会長を務める尾張旭まつり実行委員会という組織で事業決定されています。さくらまつり、あさひ夏フェスタ、市民祭、農業まつりと、四季折々の祭りが該当します。
市内では他にも各地域、神社やお寺でもさまざまな祭りが催されていて、例えば夏祭り・盆踊りですと、私が昨年参加しただけでも何と15件に上ります。
周りを見渡せば、日本は祭りに溢れています。では、この情熱の源泉は何なのでしょう。祭りの語源は「祀る」です。古来、日本人は「八百万の神」、つまりは万物に神、人知を超えた大いなる神が宿ると信じてきました。
日本の豊かな自然の恵みが、この信仰を産んだ要因であることは間違いありません。五穀豊穣と無病息災、家内安全。時代は変わっても、人々の願いは不変です。それらの根源的な祈りが、日本人の暮らしに祭りとして根付き、脈々と受け継がれてきたのです。また起源は、古事記に記された「天の岩戸隠れ」のどんちゃん騒ぎと言われていますから、もはや、日本人のDNAに刷り込まれているのですね。
ちなみに、上代は祭政一致であった名残で、政治を「政」とも言います。共通項は、お祭りパワーです。
人々の想いや祈りが、具体的な営みの姿となったものが「祭」。祭りという営みに人が集まり、繋がり、喜びを共有し、地域が結集する。伝統を糧にして、何か新しい未来が見える気がします。
さて本市では、昨今の一番の懸念が夏の酷暑です。他にも、会場の手狭さによる群集事故リスク、少子超高齢化によるマンパワーの不足などなど。祭りを持続可能なものとするためには、現実を直視して、まだ余力がある今のうちに柔軟に対応しておく必要があります。人命最優先はもちろん、「楽しく健やかな暮らし」の実現を目指し、来年度に向けて、お祭りの充実・再編のための改革を進めてまいります。
