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市長コラム「足下に泉あり!」2026年

ページID:0050045 更新日:2026年7月24日更新 印刷ページ表示

足下に泉あり

広報おわりあさひにて連載している市長のコラム「足下に泉あり!」を、ホームページでも紹介します!

バックナンバー​

掲載内容

3.11の記憶(令和8年8月 vol.39)

 東日本大震災から、はや15年です。6月13日、念願の中央防災倉庫が落成式を迎え、本市の防災力は格段に強化されました。こうした機に、どうしても平成23年(2011)3月11日を思い出します。当時を知らない世代が増える中、時間をたどって、私の名古屋鉄道在職中の体験をご紹介します。

 東日本大震災は、モーメントマグニチュード9.0、最大震度7、死者は約2万人の未曽有の激甚災害でした。私は名鉄の秘書室長で、社長とテレビの中継を見ながら身震いをしました。当該地域には、バス会社など多くのグループ会社があります。一方で、遠隔地かつ複数の会社の被災を前提とした支援マニュアルなどは何もありません。当日は金曜日でした。現地からの電話は途切れ途切れで、安否不明者の衝撃的な数と物資不足の訴えが混乱と共に伝わってくるばかり、すべてが人知を超えた経験に社内の空気は凍り付いたようでした。

 私は、自身が事務局を務める月曜の役員会が初動の鍵と考え、独断で対処組織立ち上げプランを作り、週末にトップと関係部署の根回しを済ませました。役員会では、組織横断の全社対応とする総務部所管の副社長を議長とした対策会議設置案が、予定通り了承されました。私の(やや強引な)役割はここで。以降は、この会議体が司令塔となって支援行動の統括を行いました。組織は一旦動き出しさえすれば、こんなにも的確に機能するのかと感心した記憶があります。

 この時、私は何よりも初動の重要性を実感しました。そのためには緊急時の基本的な方針、体制組織、権限の代行順位、そして連絡ツールの整備が必須です。自然災害対策はどれだけシミュレーションを重ねても、必ず想定外をもたらします。最後は人の胆力、マンパワーを信じることに尽きます。

 本市は「安全安心」を一丁目一番地の最重要施策として、市民の安全安心の暮らしを守るために注力してまいります。

 「人事天命」。災害は正しく恐れましょう。

コラム8月号

2月25日のサプライズ(令和8年7月 vol.38)

 表題の日付は個人的なことで誠に恐縮ですが、私の誕生日で、69歳(加齢ではなく熟成? )になりました。この日もいつものようにランチミーティング(vol.25参照)をしていましたら、女性職員たちが「Happy Birthday to You」(YouTube)~♪と共に、ケーキを持ってわらわらと登場。何ごとかと、ビックリです。

 右の写真中、私の両脇の職員は何と二人とも私と誕生日が一緒。この偶然に気付き、「市長を驚かそうプロジェクト」で部署が盛り上がり、当日のランチを申し入れたそうです。

  私が市長となった際、役所の中で私を知る職員は皆無で、本人はといえば行政は素人、地域活動ですらほぼ関わったことがない元会社員です。職員側から見れば、初めて相まみえる“異物”に見えたことと思います。当時、私を担当した女性秘書はかわいそうに周りから根拠なく随分と脅されたようで、初対面の時は緊張で表情が凍りついていました。その後はすぐに慣れてくれましたが、彼女の結婚式にはお詫び? の気持ちも込めた力作のお祝いメッセージを贈りました。

 私の最初の課題は、いかに自身を職員に正確に理解してもらうか、ということでした。組織に溶け込むのではなく、受容してもらうことを意識しました。私への多くの市民や職員の期待は、異物がもたらす化学変化、変革にこそあります。それを踏まえた上で、全庁を挙げた「風通しのよい、チャレンジする職場風土」への意識改革に取り組んできました。

 今回のサプライズは、明るく活気ある職場づくりが定着してきたうれしい証と思い、驚きと共に感激をしています。

 ちなみに、市長に就任した令和5年2月から続くこの昼食会は、この日で352回目。毎回3名参加とすると、延べ1,050人の職員が付き合ってくれたことになります。今現在は、優に400回は超えているはずです。我ながらすごい!

市長コラム7

10年の健康寿命(令和8年6月 vol.37)

 一昨年の年末に直腸がんの手術、そして術後合併症の腸閉塞が2度、結果3度の手術による2カ月間の入院から、何とか1年余りが過ぎました。先般の3月議会では、施政方針を発表し、次いで会派からの代表質問にも真摯に向き合うことができ、感無量の心地です。

 ここで、美し過ぎる?入院時のエピソードを披露します。3月議会では施政方針を発表しなくてはなりません。腸閉塞の治療方針は基本的に自然治癒で、鬱々と時間だけが過ぎ、役所のスタッフもさすがに焦り出します。責任も感じ、早期退院のために開き直って、腸閉塞の再手術を決心しました。結果は、何とか三度目の正直となりました。

 一方、同時並行で原稿の準備に迫られ、お腹を庇いつつ嫌々ながら、タブレットをポチポチ。そのうちに、不思議なほどに施策のビジョンが次々と頭に浮かびます。タブレットでは追いつかず、役所で原稿を印刷してもらい、嫁さんが病室へ。一日中推敲し、翌日に赤ペン入り原稿を役所へ届けてもらい、打ち換え修正した原稿を翌朝受け取り、病室へ。妻の配達サービスは、10往復近くになったと思います。かような面倒と多大な迷惑をかけた昨年の施政方針は、質・量ともに充実した力作になったと自負しています。

 そしてこの施政方針は、間違いなく復帰へのモチベーションの燃料となりました。私は仕事人間ではありませんが、この時は間違いなく仕事に背中を押してもらいました。

  以来、予定した公務を一度としてキャンセルすることなく、本日を迎えています。どんな癌でも再発リスクはありますし、後遺症を抱えた身体を生活に適応させる日々は年単位で続きます。手術の成功10年の健康寿命確保と解釈し、慌てず焦らず着実に、市政執行に邁進してまいります。

 もう一つだけ美談を。3度目の手術直前、秘書課の皆さんがお昼時間を使って、多度神社で無事を祈願してくれました。

 感涙に堪えないとは、このことです。

市長コラム0806

鬼怒鳴門(令和8年5月 vol.36)

 クイズです。表題は何と読むのでしょう? 無理筋の質問ですよね。答えは…? アメリカ人ながら日本文学の世界的権威であったドナルド・キーンさんが、東日本大震災をきっかけに日本国籍を取得、「Donald Lawrence Keene」からカタカナ表記の「キーン ドナルド」に改名し、上記はその当て字です。

 NHKの朝ドラ「ばけばけ」が、好評のうちに終了しました。主人公のモデルである小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とは時代が異なるものの、日本を日本人以上に愛したキーンさんについても語ってみたくなりました。

 八雲は『古事記』の英訳を読み、日本の神話に惹かれて来日。代表作が、『怪談』というのも必然ですね。キーンさんの入口は、『源氏物語』です。日本語を米海軍日本語学校で学び、戦後はコロンビア大学大学院などで日本の古典作品研究の道に入ります。古典から現代文学まで、日本文学・文化を広く海外に紹介した偉大な「伝道師」でした。

 以前、名古屋能楽堂で、キーンさんの講演をお聞きしたことがあります。日付をネットで調べてみますと、平成24年9月と思われ、御年90歳の時です。私はそれを講話のネタにしたことがあり、残っていた文章データを再掲します。

  「日本文化は現在、世界の勝者であるのに、当の日本人が日本文化を粗末に扱い続けている。能・文楽・歌舞伎のファンは世界中で増え、茶道・華道・書道など、日本人の向上の源である『道』は世界へ拡がり、それぞれの地でアレンジされ、人類共通の喜びとなる日がやがて来る。その時、本家たる日本の文化は、どれほどの水準を維持しているか、見守りたい。」

 キーンさんの日本愛あふれる叱咤(しった)激励です。「私たち日本人は何者なのか、どこへ向かうのか」、アイデンティティを問われているようで、ドキッとします。ちなみに、明治村には「小泉八雲避暑の家」があります。機会があれば、是非。

  ▼講演当日撮影(ドナルド・キーン記念財団提供)

ドナルド

ノーベル賞の煌めき(令和8年4月 vol.35)

 12月10日。この日はアルフレッド・ノーベルの命日で、ノーベル賞の授賞式が毎年執り行われる特別な日です。ノーベル生理学・医学賞に大阪大学特任教授の坂口志文氏が、化学賞に京都大学特別教授の北川進氏が、それぞれの共同研究者とともに選ばれたのはご存じの通りです。

 それにしても、各賞が発表される10月の1週間は、妙に気分が高揚します。有望候補の方は吉報待ちの待機、関係大学や企業は空振り覚悟の会見準備、マスコミもクルーの派遣や業績を平易にまとめる労力だけでも大変そうです。でも、昭和24年の湯川秀樹博士の受賞が戦後日本復興の狼煙となったように、日本人のノーベル賞への知性信奉に揺らぎはありません。

 今回の報道を見ていて、興味深い点がありました。

 まずは、坂口さんの「制御性T細胞」の発見。テレビ報道ですが、ある小学校で「知っている人」と先生が聞くと、子どもたちが一斉に手を挙げます。びっくりです。実は、『はたらく細胞』という人気漫画があり、冷静沈着なスーツ姿女性に擬人化されたこの細胞の働きを、子どもたちは正確に理解しているのです。漫画、恐るべしです。

 次に、北川さんですが、子どもたちへのメッセージを問われ、細菌学の父と呼ばれたルイ・パスツールの言葉を引用されました。「幸運は準備された心に宿る」。

 幸運やチャンスは偶然訪れるものではなく、日頃からの努力や準備によって初めてつかむことができる、という意味です。1月の「尾張旭市二十歳の集い」の祝辞にも使わさせていただいたので、ご紹介しました。ちなみに、坂口さんの座右
の銘は「一つ一つ」。皆さんの心に少しでも刺さればうれしく思います。

市長コラム4月号

白山林の戦い(令和8年3月 vol.34)

 昨年12月14日、緑ヶ丘第7ちびっ子広場において、市制55周年事業「白山林の戦い伝承地」記念碑の建立除幕式を行いました。

 徳川家康と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が戦った有名な小牧・長久手の戦いの局地戦「白山林の戦い」は、勝敗を決定付ける、まさにターニングポイントでした。一般的には知る人ぞ知る、ですが極めて重要な戦いです。

 天正12(1584)年4月9日早朝、織田信雄・家康軍の先遣隊は、秀吉軍の最後尾、秀吉の甥で総大将の三好信吉(後の豊臣秀次)の隊が白山林で朝食をとっていたところを急襲。不意を突かれた三好隊は総崩れとなったのです。現在では、白山の地名にわずかにその面影を忍ぶことができます。

 碑の建立に至った経緯をお話しします。令和5年のNHK大河ドラマ『どうする家康』に際し、愛知・岐阜県内10市町で結成された「小牧・長久手の戦い同盟」と日本郵便東海支社がコラボして、ゆかりの地がオリジナルフレーム切手として発売されました。ただ、本市はビジュアルに困り、古絵図の一部と現在の遠景写真を使わざるを得ませんでした。今年の『豊臣兄弟! 』の主人公・秀長は、この時は信雄領の伊勢を攻めており、ドラマで描かれるかどうか分かりません。ただ、本市を舞台にした戦国時代の重要な合戦があった事実をもっと内外にアピールできれば、市民がふるさとに愛着と誇りを持つきっかけになると考え、尾張旭ライオンズクラブ様にご相談し、記念碑寄贈を快諾いただきました。会員の皆様には、これまでの多大なご厚意ともども、深く感謝申し上げます。

 ちなみに、碑の題字は公募とし、旭中学校の生徒さんにお願いしました。時の流れは過去から未来へ。若く力強い達筆が、歴史の一つの分岐点を長く雄弁に語り続けてくれると信じています。

 ▼尾張旭ライオンズクラブ日比野和雄会長(右)と揮毫した泉原由奈さん(中)

市長コラム34

ご縁の不思議(令和8年2月 vol.33)

 昨年同様、今年のお正月を平穏に迎えることができました。

 念頭に浮かぶのは、やはり一昨年の元日に発災した能登半島地震です。ご存じのように、本市は輪島市と災害協定を結んでいるご縁があり、独自の募金活動や支援物資の提供、市民祭での相互参加など、息長く交流を続けてきました。

 そして、昨年10月からは半年間、嬉しいことに前年に続き、職員の中長期派遣が叶いました。今回は、女性職員が自ら手を挙げてくれました。彼女はもともと珠洲市の出身で、震災を契機に公共の仕事に就く決心をし、民間から本市に転職してくれた経歴で、まさに打ってつけの人材です。現地では深刻な住民流出が続いており、市職員の確保も極めて厳しい状況にあります。特に、女性住民からの相談では、女性の担当を要望される案件も多く、現地は大歓迎、当人も志高く元気に活躍中です。

 昨年11月12日、彼女の激励を兼ね、震災後、3度目となる輪島の坂口市長を表敬訪問いたしました。想像もできない激務と拝察しますが、精力的に飛び回っておられるとのことで、まずは安心しました。

 実は、私と坂口さんは、生年月日が同じなのです。誕生日が同じ人は過去に出会ったことがありますが、生まれ年まで一緒の方は初めてで、まずは、不思議なご縁の第1です。

 今回の訪問に当たっては、何か新たな取組ができないか、やはり未来を託す子どもたちの交流の一択と考え、現状を調べてみました。輪島市は、分校を除き小学校が9校、中学校3校です。同市の統計上の人口は本市の4分の1、面積は20倍と様相は大きく違うのに、学校数が本市とぴったり同じなのです。何という偶然、不思議の第2!

 早速、各校1対1の相対交流を提案し、ご賛同いただきました。まずは、本市の子どもたちが輪島の子どもたちに寄り添うことからスタートです。どのように育つのか、今後の展開が楽しみです。それにしても、不思議です。

 ▼本市の子どもたちのメッセージを坂口輪島市長に直接手渡しました。

輪島市訪問

お祭りパワー(令和8年1月 vol.32)

 市が直接関与する大きなお祭りは、私が会長を務める尾張旭まつり実行委員会という組織で事業決定されています。さくらまつり、あさひ夏フェスタ、市民祭、農業まつりと、四季折々の祭りが該当します。

 市内では他にも各地域、神社やお寺でもさまざまな祭りが催されていて、例えば夏祭り・盆踊りですと、私が昨年参加しただけでも何と15件に上ります。

 周りを見渡せば、日本は祭りに溢れています。では、この情熱の源泉は何なのでしょう。祭りの語源は「祀る」です。古来、日本人は「八百万の神」、つまりは万物に神、人知を超えた大いなる神が宿ると信じてきました。

 日本の豊かな自然の恵みが、この信仰を産んだ要因であることは間違いありません。五穀豊穣と無病息災、家内安全。時代は変わっても、人々の願いは不変です。それらの根源的な祈りが、日本人の暮らしに祭りとして根付き、脈々と受け継がれてきたのです。また起源は、古事記に記された「天の岩戸隠れ」のどんちゃん騒ぎと言われていますから、もはや、日本人のDNAに刷り込まれているのですね。

 ちなみに、上代は祭政一致であった名残で、政治を「政」とも言います。共通項は、お祭りパワーです。

 人々の想いや祈りが、具体的な営みの姿となったものが「祭」。祭りという営みに人が集まり、繋がり、喜びを共有し、地域が結集する。伝統を糧にして、何か新しい未来が見える気がします。

 さて本市では、昨今の一番の懸念が夏の酷暑です。他にも、会場の手狭さによる群集事故リスク、少子超高齢化によるマンパワーの不足などなど。祭りを持続可能なものとするためには、現実を直視して、まだ余力がある今のうちに柔軟に対応しておく必要があります。人命最優先はもちろん、「楽しく健やかな暮らし」の実現を目指し、来年度に向けて、お祭りの充実・再編のための改革を進めてまいります。

市長コラムまつり

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