本文
問い合わせ先/地域福祉課 Tel76-8184
時代の移り変わりとともに、戦争を知る世代は少なくなっています。しかし、平和への願いを未来へ伝えていくことの大切さは変わりません。平和について考える機会や、それぞれの立場から語られる思いを通して、未来へつなぐ平和への思いを特集します。
尾張旭市非核平和都市宣言
私たちは、平和で安心な暮らしがいつまでも続くことを心から願っています。
健康で住みよいまちを築くには、世界が平和であることが大切です。しかし、今なお世界各地では、武力紛争が絶えず、多くの核兵器が存在しています。
唯一の戦争被爆国に住む私たちは、二度と悲劇を繰り返さないよう「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会に働きかけていかなければなりません。
尾張旭市は、核兵器の廃絶と恒久平和の実現のために努力していくことを決意し、ここに「非核平和都市」を宣言します。(平成23年3月3日)
尾張旭市遺族会会長
宮地邦彦さん

戦没者追悼式に参列するたび、私は戦地で亡くなった父のことを思います。そして、今日まで健康に暮らしてこられたことへの感謝の気持ちを胸に手を合わせています。
父は戦地に赴き、27歳の若さで亡くなりました。当時、私は1歳でした。また、ジフテリア(当時流行していた感染症)で入院していた際に名古屋空襲があり、自宅は全焼しました。幼かったため当時の記憶はありませんが、父を失い、住む家を失ったことは、その後の私たちの暮らしを大きく変える出来事となりました。
母は50年以上にわたり遺族会で活動していました。そのため、私も幼い頃から遺族会に関わりましたが、本格的に活動へ参加するようになったのは20年ほど前からです。戦後80年以上が過ぎ、戦争を経験した世代や戦争遺児は年々少なくなっています。だからこそ、戦争の恐ろしさや惨めさを伝えることが大切だと感じています。
今年2月には、更生保護女性会の皆さんに向けて初めて語り部活動を行いました。戦後の暮らしや経験を中心にお話ししましたが、自分の体験を伝えることで、戦争や平和について実感を持って受け止めてもらえたらと思っています。
私にとって平和とは、子どもたちの楽しそうな声が聞こえ、誰もが健康で穏やかな生活を送りながら、静かに好きな時間を過ごせることです。世界では今も紛争が続いています。だからこそ、何気ない日常のありがたさを実感しています。
愛知県遺族連合会には、遺族会活動を受け継ぐ世代で構成された「継承部」があり、私の息子も参加しています。会の高齢化が進む中でも、平和への思いを次の世代へつないでいこうという動きが広がっています。私自身も、市遺族会の活動として語り部活動を続けていきたいと考えています。特にこれからは、小・中学生に向けて、戦争遺児としての経験や戦後の暮らしについて伝えたいと思っています。そして、戦争が人々の暮らしに与えた影響や平和の大切さを考えるきっかけになればと願っています。
令和8年度戦没者追悼式
と き 8/26(水)10:00
ところ 文化会館 あさひのホール
その他 小・中学生による戦争・平和に関する優秀作文の表彰・朗読あり
本市では、非核平和都市宣言の理念のもと、戦争の記憶を未来へ受け継ぎながら、平和について考える機会づくりに取り組んでいます。
次世代を担う中学生に、戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを伝えるとともに、恒久平和の大切さについて考えてもらうため、市内3校の中学校で毎年順番に開催しています。
昨年は、西中学校に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館から派遣された被爆体験証言者を招きました。映像や資料などでは伝えきれない、被爆者本人の言葉は、生徒たちの心に深く刻まれ、平和の尊さを改めて見つめ直す機会となっています。今年は東中学校で開催します。
市内小・中学校の児童・生徒が毎年約六千羽もの折り鶴を作成しています。完成した千羽鶴は、生徒の代表から市長へ手渡された後、市役所1階ロビーに展示しています。
その後、広島平和記念公園の「原爆の子の像」へ捧げられ、被爆者の冥福を祈るとともに、恒久平和への願いが託されます。

千羽鶴は、長寿や幸福への願いを込めて折られてきました。その歴史は古く、江戸時代には既に千羽鶴を紹介する書物が刊行されていました。現在では、広島の平和記念公園に年間約千万羽もの千羽鶴が世界中から寄せられるなど、平和を願う象徴として広く受け継がれています。

市役所内2カ所(正面玄関付近、北東側)に啓発看板を設置するとともに、例年7月下旬から8月中旬にかけて尾張旭駅に懸垂幕を掲出し、平和への願いを発信しています。

広島・長崎における原爆被害の実相などを紹介する広島平和記念資料館のポスターを、例年7月中旬から8月下旬(今年は8/28(金)まで)にかけて、市役所1階ロビーに展示しています。

当時3歳の私と1歳の妹の背中には、空襲に備えて常に十文字のひもが結ばれていました。すぐに抱きかかえて避難できるようにするためです。警報が鳴れば、親戚の家の防空壕へ逃げ込んでいたと聞いています。
父は30代前半で沖縄で亡くなりました。母からは、戦地から一度帰ってきた父を、幼い私が知らないおじさんだと思っていたと聞いています。40数年前に母の代理として遺族会の役員になって以来、慰霊行事に参加しながら平和について考え続けてきました。家族が心配なく暮らせる日常こそが、私の願う平和です。孫たちが戦争を経験しなくて済むよう、平和の尊さを次の世代へ伝えていきたいと思います。

世界では今も戦争が続いています。ニュースや母から話を聞く中で、「なぜ戦争が起きるのだろう」と考え、戦争・平和に関する作文に応募しました。作文を書くために戦争について調べる中で、「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」の写真が特に印象に残りました。そこには、自分と同じくらいの年齢の子どもたちが武器づくりや畑仕事をしている様子が写されており、今の暮らしとの違いに驚きました。戦争について学んだ今、友達と遊べる毎日そのものが平和なのだと感じています。これまで当たり前だと思っていた毎日が、平和だからこそ送れる日々なのだと気付きました。これからも周りの人を大切にしながら過ごしていきたいと思います。
私たちは、自分の考えを自由に伝えることができます。しかし、戦時中の日本では、戦争に反対する意見を口にすることさえ難しかったと知りました。また、戦争を経験した曽祖母の話を聞き、平和な日常は決して当たり前ではないことも学びました。戦争について学ぶ中で、私は話し合うことの大切さに気付きました。相手の考えを知り、自分の思いを伝えることで、誤解や対立を防ぐことができます。それは友達同士だけでなく、国と国との関係にも通じることだと思います。自分の思いを伝え、相手の考えを尊重できることも、平和の一つの形だと思います。これからも互いを理解しようとする姿勢を大切にしていきたいです。
昨年、戦後80年の節目となる戦没者追悼式の運営に携わりました。参列された方々の心に残る式典にしたいとの思いから、長崎市の平和祈念式典で地元の小学生たちが歌われた福山雅治さんの「クスノキ」を流せないかと考え、長崎市や福山さんの事務所に協力をお願いしました。多くの方々の支えによって実現できたことを通じて、平和への願いは多くの人に受け継がれていることを実感しました。小学校の修学旅行で訪れた広島で、戦争の悲惨さに衝撃を受けた経験は今も忘れられません。その時の思いと追悼式に携わった経験は私の中でつながっており、戦争の記憶を風化させることなく、平和への願いを次の世代へ伝えていくことの大切さを感じています。